141、大荒れのGW初日。

今なお余震が続き、大変な思いをしている熊本県、大分県の皆様に、

心からお見舞いを申し上げます。 また一日も早く平穏な日々が戻りますように。

なんて言ったらいいのか。言葉で伝えるには薄っぺらいし、他人事になってしまう。

何が出来るのか。出来ることをまずやろう。

 

大地震の惨状は東北で経験しています。

2008年の岩手宮城内陸地震の時も出張中で、震度5強を経験した。

仙台空港近くの名取市の複合施設にいましたが、建物は大きな横揺れで、

経験のない恐怖を感じました。

また3・11東北大震災の翌年の大きな余震にも仙台市内のホテルで遭いました。

本当に想を像はるかに超えた恐怖なのです。

それが何度も続きおさまらないのですから、心中は察します。

東北には何度も何度も、訪問しましたが、とにかく復旧には時間がかかります。

眠れぬ日々から、一日も早く解消されますように。

 

 GWの初日、群馬では晴天には恵まれましたが、強風が吹き荒れ、大荒れです。

北海道では、季節はずれの大雪とのこと。 

我が家の庭木も、右に左に、大きく傾き、折れたりするんじゃないかと心配でした。

最近読んだ本ですが、

『幸せになる言葉 幸せにする言葉』 出口光  水王舎刊

この本の中に、 「思いやる」 やさしい心を伝える文面が掲載されていました。

中でも、「想い」というのは、「相」と「心」です。これは相手の心を表しています。

普通の「思う」という字は、ただ自分だけが思うという事ですが、

「想う」といった時には、相手の心まで考えているわけです。

つまり、「思う」は一人よがりだが、

「想う」は相手や回りの事まで気遣いできているということです。

自分のことばかりでは、何も変わりません。

相手のことを想い、思いやる事で、心のゆとりをもちたいものです。

 

120、忘れない。

 東北を廻ってきました。お客様におかれましては、お世話になりました。

それにしても日本は広い。 同じ東北地方でも太平洋側の宮城県は雪もありませんが、

奥羽山脈を越えた日本海側の山形県では雪も多く残り、だいぶ気候が違います。

同じ山形県でも山形市内と置賜地域も雪の多さは全然違います。

知らない事はおおいものです。

今回は朝日町からから長井市への移動でホワイトアウトです。

地吹雪で視界が真っ白くなり、前が見えなくなります。 ひやひやの運転です。

 

以前、山形県の名物で、「鳥中華」 というお蕎麦屋さんのラーメンをご紹介しましたが、

同じくらい人気があるのが、「肉そば」です。

今回は、あさひ町の太郎亭さんというお蕎麦屋さんでいただきました。

肉そばと聞くと埼玉や群馬の肉うどんを連想し、豚肉かなというイメージでしたが、

この肉そば、お肉は鶏肉です。 鳥中華と同じですね。

しっかりしたお蕎麦と出汁の効いた御つゆ、鶏肉のいい味がでています。

付け合わせにリンゴが出ました。さすが、リンゴの国、朝日町。

しかし、山形は麺類王国です。実においしいです。蕎麦もラーメンも。

お店の裏には、まだまだ沢山の雪です。

 

精力的に山形県を廻って、夜は仙台市に宿泊しました。

久しぶりに夕食を兼ねて、一番町のおでんの老舗 『三吉』さんへ行きました。

以前はよく出かけましたが、数年ぶりでしょうか。

『おでん 三吉』   仙台市 仙台市青葉区一番町4丁目10-8

http://oden-sankichi.com/%e5%ba%97%e8%88%97%e6%83%85%e5%a0%b1/

相変わらず店内はごった返しています。ここのおでん。美味しいんです。具も出汁も。 

私はさんまのすり身が一番すきかも。大根・たまご・さつま揚げは鉄板です。

ロールキャベツもおいしいです。 

寒い夜には一番です。仙台に行く際は立ち寄ってはいかがでしょうか。

今回はお土産に、いまや仙台の新定番のお土産になりつつある

秋保温泉 『さいち』 さんのおはぎを買ってきました。

このおはぎ、秋保温泉の「さいち」さんという小さいスーパーさんのおはぎなのですが、

今や連日の大行列の盛況です。 

程よい甘さ、粒あんの美味しさ、絶妙なバランスのおいしさです。

日で5千個から1万個売れているのですからすごいです。

せっかくですので、秋保温泉の店舗でMRがてら購入してきました。

なんと第3駐車場まであり、店内のレジはフル稼働、どのレジも並んでいます。

おはぎの陳列台までたどり着くのに一苦労。ようやくゲットです。

こんな所まで買いに来させる原動力がわかる感じのおはぎです。

やはり商品の魅力はすごいとつくづく実感しました。

 

帰路は、名取市・岩沼とMRし、相馬へと抜けました。

仙台空港周辺や閖上の辺りは、震災後も訪れ、状況は把握していましたが、

今回、岩沼から相馬まで太平洋沿いに県道を南下してきましたが、

本当に跡形もなく、奪い去った状況に愕然としました。

長く・長く続く防波堤が津波の怖さを語っています。

 

山元町立中浜小学校の横を通りました。

小学校以外はありません。この小学校の屋上で90名にも及ぶ人々が

一夜を明かして、翌日自衛隊に救助されました。

現在は校舎が寂しく、ひとりぼっちの様にあるだけです。 寂しいですね。

この地域も深刻な被害だったと思うと胸が痛いです。

相馬の道の駅には中浜小学校の震災当時の様子が、展示されていました。

 

3月に常磐道が、全線開通になりましたので、相馬から常磐道で帰ります。

高速道路沿いには何か所も線量計が取り付けられています。

浪江町・双葉町・富岡とまだ線量は高めです。

特別な地域を走っているんだと実感する線量計です。

除染で増え続ける、行き場のない汚染土がシートを被り、あちこちで山積みです。

高速からでさえこれだけ見えるのですから、すごい量です。

問題は山積みです。 

個人でも出来ることから、少しづつです。

まず一度訪れて、現状を自分の目で確かめてみるといい。

故郷を奪われた人の気持ちを考えてみるといい。

 

108、小春日和とたき火。

 目まぐるしい毎日から連休に。ようやく一息。 

今日は長男と二人きり。普段できない事をやろう。

天高く、突き抜ける青空、小春日和だし、庭の落ち葉を集めて落ち葉焚き。 

親子でたき火の開始。 木炭と薪に火をつけ、風を送る。

気が燃えるパチパチした乾いた音。漂う煙。反射熱の暖かさ。

火は温かい。身も心も温かく休まる。火を囲むと人は優しくなる。

親子二人で、つまらぬ取り止めのない話をしながら火を見張る。

ついでに焼き芋も焼こう。

ホクホクして、甘くて、じつにおいしい。ゆったり火を囲み、時が流れる。

 

昨夜、長野県北部を震源とする地震があり、長野市と小谷村、小川村で震度6弱、

白馬村と信濃町で震度5強を観測した。

住宅が全壊したり、断水や停電も続いてる深刻な状況だ。

震災にあわれた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

「東日本大震災の揺れを思い出した」「大きな地鳴りが聞こえた」など、

地震の怖さが蘇る。

2004年の新潟県中越地震。

2008年6月の岩手・宮城内陸地震。

2011年3月11日の東日本大震災。

そしてまたこの大地震。自然は怖い。 

岩手・宮城内陸地震。この時は宮城県名取市のショッピングセンターでMRをしていた。

建物が横揺れを長く繰り返し、立てる状況ではない。物はガタガタと崩れだし、

正直だめかと思った。これが地震の恐ろしさか。痛感した。

東日本大震災は、悲しい事も多かった。

風評被害で野菜も売れず、会社としても厳しい経験もした。

現地は想像以上に状況は厳しかった。伝わらないニュースもたくさんあった。

あれから宮城・岩手・福島と幾度となく訪れているが、元の状況に戻るのは困難だ。

心安らかに平安な日々が訪れるために、個人として出来ること、

微力でもいい。一人一人が考えたい。

 

さて手元にある本と雑誌をご紹介。

(今回は私が愛してやまない民藝関連の本が半分です。) 

● 『92年分の色と形』  柚木沙弥朗  グラフィク社  

(92歳の染色家・型絵染染めの第一人者です。柚木さんの集大成です。アートは感じる事です。

尊敬してやまない方の一人です。)

● 『ぐんまの手仕事1・2 』  上毛新聞社

(伝統工芸からクラフト作家まで、ぐんまの手仕事がわかります。)

●『和楽 12月号 民藝のある暮らしってこんなに楽しい。』 小学館

(民芸の基礎がわかるかも。見て・買って・使って。初心者には教科書ですね。)

●『小山薫堂が90歳のおばあちゃんに学んだ大切なこと』 小山薫堂編 PHP

(京都にあるくれない茶屋というお茶屋のあばあちゃんのたわいもない話ですが、

きちんと人生・暮らしと向き合ってきた方ですので、生き仏か、はたまた天使か。)

〈人はな自分が気張らんと幸せにはならへん。ほかの人がいくらがんばったて、

自分は幸せにはならへんのよ。〉  なるほどですよね。

●『いのちのことば』 佐藤初女  東邦出版

(同じ系統の本が3冊続きますね。心が波立っているのかな。迷っているのかな。(笑)

90歳の初女さんの言葉には、深い洞察と真実があります。)

受け入れ、見守り、育て、赦すのが 「母の心」。母の心は女性だけでなく、男性にも必要ですね。

自分を見つめることもせず、相手に原因を探しても何の解決にもならない。

相手ではなく自分と向きあうことですね。

●『ことばの形見』 今井美沙子 作品社

(作家・今井美沙子が幼少時教わった、50の言葉です。日本から失われつつある昭和の品格と道理です。人としてやってはいけないこと。やるべきこと。洗心です。)

にこにこするとが、子供の仕事。人にしてもろうたことは忘れんな。

目に見えんもんが大事。程度ばしらん人間ほど、恐かもんはなか。

 

81、震災を憂う⑤

 明後日の11日、震災から三年を迎える。

「忘れないでほしい」  この一言に尽きる。

震災で、大切な日常の平穏と記憶を失った。

 

 

今日の新聞の世論調査では、70%の方が復興していないと感じている。

テレビでは、朝から震災後三年の特集番組を放映している。

自分の夢を捨て、生きていく覚悟を決めて歩む人。

風化していく事で、故人を思いでとしてではなく、記憶に留めて欲しいと願う人。

誰もが歯を食いしばり、頑張っている。

東北人、関東でも震災で被害に遭われた方は頑張っている。

まだまだだ。少しでも多くの人が、一日も早く、穏やかな生活が取り戻せるように。

一人一人、出来る事を考えたい。

 

65、震災を憂う④

先週末、山形・宮城へ訪問させていただきました。

お客様におかれましては、貴重なお時間を対応下さり、ありがとうございました。

栃木・福島と東北自動車道を北上していくと、

まさに日本はお米の国だと気づかされます。

お米は頭を垂れ、金色に、たわわに実っています。

見渡す限りの米畑は、まさに日本の初秋です。

山形では、先月の日本海側での大雨に見舞われた影響で、

土砂崩れ等の災害の爪痕が見受けられました。道が崩落した個所もありました。

翌日は仙台から南下したので、名取市の産地や仙台空港や閖上に立ち寄りました。

11日ですでに震災から二年半です。

震災から幾度と東北を訪れ、現状を目の当たりにしてきました。

震災時、大津波に襲われた名取市上空を自衛隊機が上空から映した画像は、

鮮明に焼き付いています。昨年は立ち入り禁止になっておりましたが、

ようやく入れるようになった様です。しかし現状は何もありません。

これが現実です。

白石で遅い昼食をとっていたら、地元のローカルテレビで

震災から二年半が経過した特別番組を放送していました。

トップニュースは、被災地では最後に、宮城県石巻市の、

長面(ながつら)地区と尾崎(おのざき)地区で、

震災以来2年5カ月ぶりに電気がともった。福島第一原発の周辺を除き、

最後の復旧となったと伝えています。

まだライフラインが復旧していないのかという驚きと、

関東と東北の温度差を改めて感じました。

震災で流された写真を復旧するボランティア団体の話等や、

伝えられていない事が多いのです。

スピード感がないな。早く早く。

オリンピックも大事ですが、復旧・復活です。

一度訪れてみるといい。

 

29、震災を憂う③

政治がガタガタ動いています。

さてさて、いかがな物か。利権の絡み合いです。

風化している感がありませんか。 「がんばろう〇〇。」

昨年10月に宮城県を南三陸町・志津川を訪れた時の写真です。

町は跡形もなく、ガレキの山です。

胸が押しつぶせられる思いでした。

どう思います?

「がんばれ・がんばれ」などと言ってるのでなく、

現地に赴いてお金をたくさん使うなり、ボランティアでもなんでもいい。

アクションを起こして欲しい。

「ガンバレガンバレ」 のぼり旗やステッカーは地元の人ならともかく、もう沢山だ。

目標を掲げて取り組む事は悪い事ではない。ただ、目標を掲げると言う事は、

裏を返せば、出来ていないという事だ。

党利党略・私利私欲でなく、日本人として、優先順位を決めて、

道筋をつけていただきたい。

また寒い冬がくるのだ。

 

16、震災を憂う②

先週、出張で山形を訪問させていただきました。

お客様におかれましては、大変お世話になりました。

山形南陽市のぶどう畑も沢山の太陽を浴び、もうすぐシーズンインです。

このところ、太平洋高気圧が強く張っているので、秋の様な高く澄み切った青空です。

さて、行き帰りの高速道路・東北自動車道で感じたのですが、

まだ震災の影があり、舗装作業の災害復旧をしておりました。

東北の大動脈である高速道路でもまだこの程度の進捗状況です。

どんどん元の状態に戻すように仮復旧は終わっていますが、

未だ、でこぼこな個所もあります。

 

道路復旧に限らず、東北のどの町でも、関係各位の方々は本当に頑張っています。

しかし、この国の政治では、復興のスピードを上げるのは困難です。

先週も野田首相とデモの代表とが、会合を持ち話し合いとの事でしたが、

お互いの主張ばかりで、話は進展しません。単なるガス抜きの会合になりました。

今何をすべきか。1年後に何をするのか。5年後に何をするのか。

本当に震災に遭われた方々の生活を元に戻すように。早く指針を!

原発という日本のアキレス腱は、コストが安くすみ、高電力が得られる重宝さで、

安全というガイドラインを捨てて、商品として、利権の対象になりました。

利権が絡む商品である以上、代替エネルギー開発に時間がかかるとか、

慎重に日本をデザインするなど、核心を先送りし、引き延ばす話しばかりです。

儲かる商品は大事なのでしょう。残念なことです。

この国は震災に対して、レイクイエムを歌える資格があるのでしょうか。

だれが指針を示すのか。

本当に困っている方々が苦しまぬ様に。

この続きはまたの機会に。

 

9、震災を憂う①

今週、出張で長野県へお邪魔いたしました。

佐久市方面から、国道141号を韮崎方面に向かい走っていると、

佐久穂町・メルヘン街道入り口を過ぎた橋辺りにさしかかると、同乗の営業さんから、

『確か、この橋でしたよね』と声を掛けられました。

そうです。約1年3ケ月前この橋の上で、あの未曾有の東北の大震災に遭いました。

この地でも震度4の大きな地震でしたが、その時は事の重大さにまだ気づいておりませ

ん。本社や自宅は大丈夫か?すぐに電話を掛けましたが、なかなか通じません。

高速道路も不通となり、私たちは内山峠を越えて群馬県下仁田へ入りりました。

群馬県の左半分は停電しており、信号機が不通でしたので、大きい交差点は警察官の

方が、手旗で対応しており、徐々に事の大きさに気づきはじめましたが、相変わらず電

話は通じません。

電話が通じると、会社からの報告では、「棚から物は落ちる」「工場の機械は横揺れで

動いしてしまう」など、徐々に全容が見えてきました。

この夜、テレビやラジオからは、信じ難い目を覆いたくなる映像が次々に飛び込んできて

画像はさながら、生き地獄です。

この日から、日本の大きな憂いが始まりました。

東北地方太平洋沖地震の被害に遭われました皆様に、

心よりお見舞いを申し上げると共に、

一日も早い被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

私たちに出来ることは、まず『寄り添う事』です。

この怒りや悲しみはどこへぶつければいいのでしょうか。

この続きはまたの機会に。